小島毅氏(東京大学助教授、1981年卒OB)の講演会報告

 去る6月24日(土)、卒業生でもある小島毅氏をお迎えして、交際交流委員会と図書館部の共催による「『中国に一番近い学校』は日中交流の歴史を知っているのか?」と題する講演会が開かれました。小島先生は、中国哲学・思想を研究なさっていますが、麻布学園と中国との交流の地である寧波についての研究プロジェクトも推進されておられ、この度、日中交流史に関する講演をお願いした次第です。

 講演会では、というよりも特別授業という感じでしたが、「倭寇」というテーマを取り上げ、まずは地歴部が発表をしてくれました。(実は、小島先生も在学当時に地歴部に所属されていました。また、会の冒頭の自己紹介では、小島先生がなんと中学1年のときに図書館から借りて読んでいらした中国古典文学大系『資治通鑑選』と対面され、残っていた貸し出しカードにはっきりと小島毅と記名されてあるのを目にされて、少年時代から中国好き、歴史好きだったことを感慨深く振り返っておられました。)発表では、「倭寇」と一口に言われているけれど、実際には前期倭寇と後期倭寇があって、後者は福建・広東を本拠とする中国人の海商がその主体なのだから、両者は質を異にするものであること確認し、後期倭寇と薩摩の関係について語られました。後期倭寇は、いわば東アジア東岸貿易を活発にし、薩摩もその一翼を担うことで収入を増大させ、島津氏が飛躍しただけでなく、貿易での交渉を通じて薩摩人のバランス感覚が鍛えられたと言え、その意味において、後期倭寇は薩摩の発展には欠かせなかったのではないか、というこことでした。

 小島先生には、この発表を受けていただき、お話していただきました。資料として、(1)「倭寇図巻」という絵巻、(2)中国東岸の地図、(3)遣明船一覧の表、(4)日本・琉球・中国・朝鮮半島・東南アジアの関連年表、(5)采九徳『倭変事略』付録、(6)王直および林希元についてのプリントを配って頂き、それぞれの資料によって「倭寇」の実態についていろいろと教えていただきました。地歴部の発表においても名前の出てきた、後期倭寇の頭領であった王直についても、(5)と(6)によってくわしく知ることができました(Dは、王直が明朝に捕らわれたときの弁明書だそうです)。王直は塩商人だったそうですが、Eのプリントに、黄巣(「黄巣の乱」の黄巣)や朱全忠(「黄巣の乱」の幹部でもあった)も同じく塩商人とあったことから、なぜ塩商人がそうなるのかという質問が出ていました。

 休憩をはさんで、さらにさまざまな質疑にもたっぷりと時間をとって答えていただき、とてもアットホームで有意義な時間となりました。先生が生徒諸君にわかってほしいこと、考えてほしいことは、1.歴史は暗記科目ではないということ、2.歴史認識に唯一の正解というものがあるのだろうかということ、3.歴史や哲学・思想といった人文学はどのように世の中の役に立つのだろうか、ということだとおっしゃっていました。

 当日配られた地歴部のレジュメや先生に用意してしていただいた資料、さらに講演会を記録したビデオが図書館にありますので、ほしい人、観たい人は申し出て下さい。

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