図書館読書会:第2回、「戦争」と「平和」を考える読書会

 2007年9月22日(土)、13:00より図書館棟1階小教室にて、第2回「『戦争』と『平和』を考える読書会」が開かれました。実は、戦後61年目の昨年が第1回目だったのですが、まだ夏休み中ということもあって、生徒は集まってくれませんでした。そこで、今年からは、2学期が始まってからということになりました。

 今回は、三土修平著 『頭を冷やすための靖国論』(ちくま新書、2007.1刊)と小島毅著『靖国史観』(ちくま新書、2007.4刊)の2冊を取り上げました。「ちくま新書」からは、「靖国本」が3冊刊行されていますが、そのうちの2冊が偶然にも麻布学園の卒業生によって書かれているのです。この偶然にも励まされて、靖国神社についてしっかりと考えてみまようとしました。

 当日は、生徒や教員など、いろいろな層の参加者が15名ほど集まりました。また、著者の三土修平さんにも参加していただきました。

 まず最初に、『靖国史観』について生徒から報告をしてもらいました。朱子学、陽明学、水戸学、国学、国体明徴運動など、馴染みの薄いことばや初めて聞く名前の人物が多く出てきてたり、さらには日本歴史のことや中国古典のことにも触れられていたので難しかったけれど、靖国神社の背景にある歴史やその起源について知ることができたということでした。すなわち、靖国神社は、その起源から考えて、「天皇のために戦った軍人たち――正確に言えば、天皇の意向であると自称する勢力に殉じた人たち――」の行為を顕彰するためのものであること、言い換えれば、単純に「お国のために戦った人たちが祭られている」神社ではないことは理解できたということでした。また、『頭を冷やすための靖国論』とは視点が違うけれど、靖国神社問題を国内問題として捉えている点では、2冊の本は共通しているという指摘がありました。

 司会者からは、学園の創立者である江原素六は幕臣であって、「市川・船橋戊辰戦争」で傷を負った江原素六がそのまま亡くなっていたとすれば、靖国神社には祀られない人物であったのだという余話もありました。

 次に、『頭を冷やすための靖国論』に移りましたが、著者に参加していただいているということで、生徒からの報告の後、さまざまな感想や質問が出ていました。

 中国や東南アジアの同年齢の者たちと交流する経験のあった生徒からは、話題のなかで自分自身や日本人の宗教について問われることがよくあり、それにうまく答えられない自分自身を含めて日本人の宗教意識の問題が、靖国神社問題を混迷させているのではないかという指摘がありました。それに関連して、確かに風俗としての神社というものに対する日本人の抵抗感はあまりないという意見とともに、神社一般と靖国神社を同一視してよいのかという意見もありました。さらには、政教分離という考え方が日本文化にどのように根づき得るのかという指摘もありました。

 日本人の宗教意識の問題だけがその理由でないでしょうが、靖国神社についての論争がかみ合わないのはなぜなのだろうかと、『頭を冷やすための靖国論』とともに改めて考えさせられました。

 そして、素朴な愛国心とは何だろうかという問い、戦争における死の意味づけの問題、象徴天皇と靖国神社の問題など、さまざまなテーマが出されました。

 最後に、「靖国神社の問題は、何を以て解決と言うのでのしょうか」という単刀直入な質問がありましたが、三土氏は、本において方向性は示してあると思うが、具体的なかたちで敢えて示してしないのは、皆さんにそれを考えてもらいたいからだとおっしゃっていました。

 3時間を超える読書会を、三土氏をはじめそれぞれの参加者のおかげで有意義に終えることができました。参加者の皆さん、どうもありがとうございました。

   

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